臨死的音響体験

 

・夕方からずっと偏頭痛がしていた。耐えられないほどの痛みではなかったが、脳の断片でドクドクと規則的に脈動する痛みは休まることなく続いた。

何にかする気力も起きず、ただ、薬を飲んでベットに寝転がり、天井とそこに微かに残る染みをみていた。天井の染みに飽きたら、壁のキズをみていた。その間ずっと、携帯のスピーカーからは所在不明のアンビエントミュージックが流れていたことは知っているが、思い返してみても、その時の音の記憶だけは今もない。

雨が降り、雨の粒が自宅の車庫の屋根を跳ねる音が聞こえてきた。その雨の音の記憶は覚えていて、その音がきっかけとなって、わたしを、ある夢のように奇跡な感覚的体験に導くのだった。

その否が応でも聴こえてくる雨の音は、わたしの聴覚を刺激し、クリアにさせ、忘れかけていた所在不明のアンビエントの音を誘った。クリアになった聴覚は、次第に、その雨の音と、アンビエントによって交錯する音の波長の輪郭を掴み始め、連続する空間を形成していった。その最中も、わたしの脳の断片は、変わらず、規則的な脈動を繰り返し、しかし、その脈動は、形成された空間によって鼓動し、身体を経由してこだましていくのだった。

それは、とても気持ちよかった。

乱れるように鳴り響く雨の音と、充満するアンビエントが形成するその空間に、偏頭痛の規則的な鼓動によって、一体になって溶けていくそれは、さっきまでのような脳の断片だけでなく、全身の神経にやわらかな質量を感じさせた。スローモーションになっていく意識の外側で、鼓動するように感じるたしかな質量は、自身の姿、形を失うのを肯定するかのように心地よく、射精したあとのような快感があった。そして、それはしばらく続いた。

わたしは、その時初めて雨が暖かいと感じ、そして、交錯する音同士がかがり縫いされていく様をずっとみていた。これは、比喩とかではなく、本当にそう感じ、そう見えていたのである。

気づいた時には、感傷とか、同情とか、もっと別の、自己の外側で、ただ単純に美しくて、気持ちよくて、泣いていた。