ネカフェの犬

  いつも自分が憂鬱に負けてしまっていることを悪い事だと思っていないし、謝るつもりもない。悪い事だと思わないし謝るつもりもないことも悪い事だと思わないし謝るつもりない。謝るつもりもない事を悪い事だと思わないし、謝るつもりもない。

 

友達の家で、気づいたら終電を逃していた。お互い話すことがなくなって、各々、本を読んだり、スマホをいじったりしていたら気づいた時には家に帰る手段を失っていた。友達は次の日には仕事で早く寝るというので、その中こっそり起き続けるのもなんか退屈で私は快活クラブに行くことにした。快活クラブとは、いわゆるネカフェのことである。

私が行ったのは、狸路地にある2号店で、シャッターが降り、店の明かりが消えた商店街を歩いた先で、「快活クラブ」という入り口の商標が目に悪いぐらいに光っていた。来るたび思うが、お前が快活を名乗るなと思う。ネカフェと快活を結びつけるのはなんとも無理がある。

無人の受付マシンにてカードキーを貰い、入室し、常設されたPCに電源をつけるとすこしエッチな気分になった。いや、違う、別にわたしは環境変えると性欲が湧き出る化け物なわけではない。ネカフェというのが、もともとそういう場所なのだ。自宅で気軽に自慰が出来ない人のための設備が過不足なくされた場所、それがネカフェである。全てのPCにはfanzaの会員プランが自動で登録されており、リモコンの早送りのボタンだけ文字が擦り切れ、ティッシュが二箱積まれている。だから、入室するだけで少しエッチな気持ちになるのだ。そういうカスのパブロフの犬が来る場所、ネカフェ。

あぁ、だからダメなんだと思う。こんなふうに、私は環境に状況に抵抗できない。どんよりとした憂鬱の渦に飲み込まれ行動を選択できない。憂鬱は辛いが快楽だと誰かが言ったが、本当にその通りだと思う。いっそのこと、国力のようなクソでかい力によって、私は軍隊とかに投げ出されるべきだと思う。そうでもされない限り、私は、いつまでも私を律していられない。

その後、何周見たかわからないのんのんびよりを見たり、レンタルのコミックを読んだりして、朝9時ぐらいに常設のシャワーを借りて帰った。8時間、ナイトプラン1,870円。たっか。いるだけで1870て。毎度会計するたび嫌になる。

そう、ネカフェ(快活クラブ)は、その快活という欺瞞にムカつきながら入店し、さらに会計の値段にムカついて退店する。それでも私はまた来るだろう。そういう場所だ。重たいだけの家系ラーメンとかにハマる人とかと同じようなメカニズムなんだろうか、と一瞬思ったが、絶対違うので、私はまた考えるのをやめた。

土の中みたいな場所で

身体的な欲が湧いてこない。食欲も性欲も睡眠欲も、ずっとそうした感覚に対する意識が曖昧としていて、その曖昧とした身体感覚の渦中に抗うことなく身を任せている。そのように、わたしがわたしの身体を漠然としてしか認識できていないためか、内出される感情も少なくなってきていて、感情を表現する心のようなイメージの臓器は、崩れて、溶けて、腐敗して、鬱々とした匂いだけを出している。形容するなら、憂鬱とでもいうのだろうか。でも、本来憂鬱といった言葉には不安や後悔といった意味合いも残してあると思うので、それもまたすこし違う。わたしのそれは、もっと思想がなくて、文脈がなくて、気品がない。とにかく、わたしの覇気の無さには、意味が帯びていないのだ。そんな美しくない堕落に何の価値があるのだろう。そんなことを思いながら今日もまた、速く走れない自分の脚を舐めている。光をみたい!、他者にみるのは向いてないから、せめて自分の中に。

 

 

・最近ずっと意味もなく焦らせてくるような最悪な焦燥(なんかキモい形姿した死ぬ前の魚が体の中で跳ねてる感じ)によって体内のリズムみたいのが加速してるから、本当に最悪のテンションが続いてる。普通にしてたらすぐにでも狂いそうになるので、すこしでもそんな加速を感じたら外に出て気を紛らわすようにしている。散歩するほど気力はないから、家から3分くらいの、路地を抜けた先にある長い階段に座って、空を見たり、音楽を聴いたり、寝たりしている。

自分の家は長い坂の上にあって、そのいつもいる階段からでも自分の住んでる町が見渡せるほど高いところにある。最近は急に日が登るのが早くなった。朝の3時半くらいから空はもう青白くなっていくから、それを階段からアルコールで痙攣した神経を傾けて眺めていると、より非現実感が増していき、景色に吸い込まれてくみたいに自分を忘れていく。最近はその階段にいる時間がすごく多い。

 

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・友達とフグ鍋した。これはフグ美味すぎてみんななんも考えずめちゃくちゃに食ってたら秒で無くなって白菜茹でるだけの鍋が完成した時の画。

 

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ユニクロジルサンダーがコラボしたやつ買った。安すぎてウケた。(ひっそりスリッド入ってて可愛いんだけど全然映らんかった) 母があなた夏に着るものもお金もないでしょって買ってくれた。

 

asaitakai.hatenablog.com

・この前『臨死的音響体験』ってブログ書いた。タイトルに臨死的っていう単語を使ったのは、自ら気持ちよく意識を失っていく様を雑に例えたからなんだけど、本当のところ「首締めセックス」をイメージして名付けてる。ブログには書ききれなかったけど、あの時、「この甘い痺れの感じはきっと首締めセックスされてる時に感じる快感に近い!」と、わけわからん確信があった。それも、自分がまだ高校生のときある友達から聞いた首締めセックス体験談から由来していて、それを思い出していたからだった。

 

・どうせこんなブログ誰も見てないし、その子の話でもするか。

 

・その子は、いつもそうした(首締めセックス)のような、放蕩な行為をすること、健全な身体を自らで汚していくことに酔っている感じがあって、自分はそれを心の中で微かに貶しながらも、その子と最悪な話をするのが楽しかった。

 その子の手首にはいつ見ても無数のリスカ跡があってその傷はいつ見ても新しいのと古いのがあった。その子と話す時は、まずその子の手首の傷を観察することが2人でいるときの習慣だった。「おーこれだいぶ深くない?」とか、「ここの傷もう癒えてきてるね」とか、そんな意味のない会話をよくしていた。しかし、当時の自分にとってはその会話が好きだったし、そんな関係を特別とすら思っていた。どんなに暑い日でも長袖を着ている彼女が、わたしに傷を見せるためだけに人目につかないところにいって袖を捲ってくれるのが嬉しかった。その子の痛々しい傷口に触れると、「もう塞がってるから別に痛くないよ」となぜか自慢げに微笑み、触ったのがまだ新しいものであるときだけ、恥ずかしそうにはにかんでいた。

ある日、その子は半袖を着て現れた。もちろん手首の傷口はあらわになっていた。周りにその傷口のことを問われると、さりげなく、でも自慢するかのように傷口をみせていた。その日もその子はわたしに傷口を見せようとしてきたが、別にもうどうでもよかった。

 

 

 

 

臨死的音響体験

 

・夕方からずっと偏頭痛がしていた。耐えられないほどの痛みではなかったが、脳の断片でドクドクと規則的に脈動する痛みは休まることなく続いた。

何にかする気力も起きず、ただ、薬を飲んでベットに寝転がり、天井とそこに微かに残る染みをみていた。天井の染みに飽きたら、壁のキズをみていた。その間ずっと、携帯のスピーカーからは所在不明のアンビエントミュージックが流れていたことは知っているが、思い返してみても、その時の音の記憶だけは今もない。

雨が降り、雨の粒が自宅の車庫の屋根を跳ねる音が聞こえてきた。その雨の音の記憶は覚えていて、その音がきっかけとなって、わたしを、ある夢のように奇跡な感覚的体験に導くのだった。

その否が応でも聴こえてくる雨の音は、わたしの聴覚を刺激し、クリアにさせ、忘れかけていた所在不明のアンビエントの音を誘った。クリアになった聴覚は、次第に、その雨の音と、アンビエントによって交錯する音の波長の輪郭を掴み始め、連続する空間を形成していった。その最中も、わたしの脳の断片は、変わらず、規則的な脈動を繰り返し、しかし、その脈動は、形成された空間によって鼓動し、身体を経由してこだましていくのだった。

それは、とても気持ちよかった。

乱れるように鳴り響く雨の音と、充満するアンビエントが形成するその空間に、偏頭痛の規則的な鼓動によって、一体になって溶けていくそれは、さっきまでのような脳の断片だけでなく、全身の神経にやわらかな質量を感じさせた。スローモーションになっていく意識の外側で、鼓動するように感じるたしかな質量は、自身の姿、形を失うのを肯定するかのように心地よく、射精したあとのような快感があった。そして、それはしばらく続いた。

わたしは、その時初めて雨が暖かいと感じ、そして、交錯する音同士がかがり縫いされていく様をずっとみていた。これは、比喩とかではなく、本当にそう感じ、そう見えていたのである。

気づいた時には、感傷とか、同情とか、もっと別の、自己の外側で、ただ単純に美しくて、気持ちよくて、泣いていた。

 

・目覚めて、横になった体勢から時計を見たら5時すぎだった。頭がねっとり重く、気分が悪かったから寝過ぎて夕方の5時なのかなとすこし焦ったが、頭が重いのはただの二日酔いだった。

昨日、友人と通話しながら吐くまでお酒を飲んで、実際に吐いた。人と話しながらお酒を飲むとおれはいつも許容の範囲を間違える。深夜というかもうほとんど朝方にトイレで嘔吐しながら考えていたが、何かによって嘔吐した時、とても虚しい気持ちになる人が多いらしい(特にお酒は)。でも、自分はそこまで嫌に感じたことはない。なんならある種の気持ちよさまで感じる。マゾから派生した感情なのかなとも思ったが、単純におれが生気のない人間なだけで虚しさとかはないんだと収束した。

 

・朝食はいちごだった。(画質わるっ)

 

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・最近バイトにいってない。バイトといっても、知らん人のポストにいらんチラシねじ込むだけ(ポスティング)なんだけど、担当から連絡もこない。忘れられたってことでいい?

 

チェンソーマン9巻を読んだ。何回か心臓が停止しかけた。あと普通に話として美しかった。

 

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・パワーちゃんが可愛い。あとレゼも。

 

・太宰の待つを読んだ。マジで良くて読んですぐまた読み返した。これは傲慢な感情だけど、西加奈子太宰治は自分のことを書いてる、といつも思い上がる。わたしは関係夢想のネオテニーだから。

 

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・この指輪なくした。友達と公園いってはしゃいでたら全部なくなってた。(関係ないが、おれの手はエロい)

 

・最近、軽薄に軽妙に生きれてるから毎日楽しい。精神も安定してる。でも未来はカス。←そらそうだろ。

 

・あ〜

 

・過去の自分が、今の自分を作ってるはずだけど、今の自分がこれからの自分を作っている感覚はない。

そのくせ一人前に、不安を、何か得体の知れない不安を抱いている。
そして何かを、得体の知れない何かを苦しく思う時、願うのは、恨むのは、過去の自分なのだ。

 疲れた

何に?

 

・昨日母の日だったので、さっきツタヤに行った帰りにケーキを買って渡した。花は恥ずかしくて渡せなかった。

 

・またきてね。ここに。

 

 

 

 

 

以下、思考の垂れ流しです。(文脈がありません)

 

・今日はあったかいね。夜だけど、窓あけてる。

 

・どこにいても、そこは自分がいて許されるような場所でないように思えてしまう。ここに論理的な思考はないように思うけど、やはり身体は全てを拒絶するよう命令してくる。でもそれにはもう慣れた。絶望はもうすでに身体に染み込んでいて、それはもう馴染んでしまっているから。

 

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・イヤホンちゃん、可愛いすぎると思う。好き過ぎていつも一緒にいる上鳴電気マジで嫌いになってきた。

 

・学校にいるほぼ話したことがないけどなんとなく気になる女の子が夢に出てきた。夢の中で話しただけでまた好きになりかけた。危ねー。最悪。

 

・静かに狂っていたい。その静けさは自分に残された最後の美意識であるようにも思う。

 

西加奈子の地下の鳩。今のわたしはすべてここにあるんじゃないかと思った。何度か、持つ手が震えた。

 

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・おれの鍵

 

・最近、楽しいことが多い。楽しいと狂いそうになる。私の感情のベースは、寂寞、荒涼、諦めといったメランコリックな状態であろうするので、楽しいことがあった後、その後に幸福に統合された自己が分離される最中、切り裂かれるような喪失を覚える。わたしは、わたしでありたいが、わたしであるためには、愛されていたい。そう思ってるうちには、いつまでもその自己は分離されたままだろう。

 

・ヘラヘラせず話したい。好きなものとか、堂々と言いたい。言ってみる。長谷川白紙が好き。

 

・今日が昨日に消えていくのをじっと待つ。

 

・またね!って言いたい。またね!

 

 

・最近はずっと、決まった友達と遊ぶか、それ以外は本読むかアニメ観るかしかしてない。アニメは日常系ゆるふわなやつ。本は一度読んだやつをまた読み返してる。それらはあまり活発に脳を使わなくていいからだ。ゆるふわアニメは脳死で観れるし、一度読んだ本は、その時の解釈を辿ったり咀嚼すればいい。

詳しい話をすると、西加奈子の地下の鳩と、太宰のヴィヨンの妻と斜陽を再読していた。こういうの種類の本を読んでいると、自分の内にある粘り気のもったドス黒い液体がドクドクと沸騰し、その液体で自分が満たされていく。そしていつも分離されていたあらゆる自己がその液体に溶けてまどろんでいく感覚があってとても気持ちいいのだ。ある意味で情緒が保たれて精神が落ち着く。愚かだ。愚かだと思う。でも、その気持ちよさの本質はその愚かさに統合されていく感覚なんだと思う。リストカットとかブロンの乱用とかと本質的には同じ、同じだけどそれらよりはまだ安全で健全だと思うから、自己や情緒が分離気味でいま苦しかったりする人はぜひね。

あとアニメはスーパーカブとイジらないで長瀞さんを観てる。そう、おれはこういうのを好んで観る。

これらを観てる時はとても健全だ。めちゃくちゃ澄んだ精神状態で鑑賞している。感情は幸福に統合されていて、鑑賞中はきっと蛭子能収みたいな顔をしている。

 

・この前ある友達と一瞬だけキャリアの話になって、その友達に将来どうするのーみたいなことを聞かれたとき、おれは、まあ、学生期間に自分に合った働き方見つけるよ〜みたいなことを適当に言って、その場の会話になんとなく合わせてしまった。

でも実際マジで何にも考えてないんだよな。考えないようにしてるっていうか。

あのときちゃんと本心を言うべきだったかな。言うべきだったよな。でも、キャリアがない人がキャリアの話をするときってどうすればいいんだろうか。ブログでもないのに、弱さを無差別に発露すんのもなんか気が引けるしね。

あー、でもやっぱり生活はしたいな。豊かさとか健康とか安定とかはもういらないから。早く帰りてーって思いながら仕事して、帰ったらアニメ観て本読んで酒飲んで踊って寝るとかがいいな。それ以上何も望んでないんだよな。

 

https://music.apple.com/jp/album/%E3%82%B7%E3%83%BC-%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8/1515056947?i=1515056961