美しい牛丼屋 

 土曜の昼下がり吉野屋に行った。

 

理由は単純"牛丼"を食べたかったからだ。

 

カウンター席に腰掛けチーズ牛丼と豚汁を注文、冷たい水を汲んでいるうちに注文の品がおれの元に届いた。

豚汁の温かみと牛丼の旨味を「晩御飯の影」と共にすすった。

昼下がりということもあり来客のピークは過ぎ、辺りは閑散していた。

 

奥の席に年配のサラリーマンが1人、2つ隣の席に若いOLが1人、迎えの席にスケーターのような格好の男性がひとりだった。そしておれを含め4人、皆各々の頼んだ牛丼をただ黙々とすすっていた。

 

おれはこれを"エモい"というのだろうと思った。

 

4人とも全くの初対面だしこれからもおそらく知り合うこともない、職業も年齢も違う。

この吉野屋に来るまで何したか、食べた後なにするかもしらないし、知ることもできない。

 

このように全く異なった4人の一瞬の交差

その交差はわずが15分 生涯の単位で表せばまさに一瞬のフュージョン

 

今"牛丼"を食べたい

 

この小さな願望が導いた1つのアグリゲーション(集合体)。

 

おれはこの瞬間にはある種の新しい"情"のような何かを感じた。

 

おれは牛丼を食べながらこの4人で旅に出たいとおもった。

お揃いのミサンガをして、円陣を組みたい。この4人ならどこまでもいける気がした。

 

しかし、そんな事叶うわけないし、叶えたとしたものそれは"下品"な行為であると思った。

"一瞬の交差" それこそが一番美しいし、4人の人生を一番"尊重した形"であると思った。

 

だからこそこの一瞬ぐらい"牛丼を美味しく食べる"という共通認識を持ったチームメイトとして共にやっていこうじゃないの と

心の中でルフィ達のように拳を天に掲げた。

 

ハッとして周りを見渡すとチームメイトは1人もいないし豚汁は冷めてたし、食べかけの牛丼はパサパサになっててあんまり美味しくなかった。