飲み会の加速とその調和

・札幌に行った日

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円山公園の池

 

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動物園に行った。

楽しかった。楽しかったけど、正直なはなし「こいつら全然動かんやん...」ってなった。こんなに動かなかったっけ、陸の生物。動物園育ちの動物だから仕方ないのか?なんかずっと檻の奥の方で呆けてるやつばかりで、少しだけガッカリしてしまった。

個人的に水族館の方が好きかも、海の生物、よく動くから。

 

・この日の帰り、最終のバスを逃し、機転をきかせJRで帰ろうしたら札幌駅まで行く最終の地下鉄までも逃した。札幌駅まで約2キロ。タクシーか走るか、どちらかの判断を委ねられた。

終電までの時間もない、霧雨のような細かな雨まで降っていて状況としては最悪。不測の事態。

それでも俺は走った。傘を投げ、白いスニーカーを汚し、人の目を無視して、ただ一直線に走った。理性の手綱を手放して。

 

こういう時ってどこかハイになるよね。そのハイになった状態、なんか、気持ちいいですよね。わかりますか?

なんだろう、墜落を受け入れる快感というか、なげやりになってあらゆる意識を捨てゆく快感。

コンビニで、最初はカロリーとか値段とか気にして慎重に選んでいたけど、もう途中からどうでもよくなって、欲望のまま、食べたいのを思いつく限り買っていくあの感じ。全部を夜のせいにして友達に、センシティブに扱っていた内心を止めどなく打ち明けていくあの感じ。明日のバイトを一旦全部忘れて、朝まで遊ぶことを誓う感じ。

墜落を受け入れることで享受できるあの快感。「どうにでもなれ!!!!!!」の快感。

あの時はそういった快感があった。

化学が進化していったらそういった快感は味わえなくなっていくのかな。たまには帰った格好のままソファで寝たいし、衝動でピザ頼んだりしてたい。

 

・複数人同時のコミュニケーションが本当に苦手だ。19年間生きてきたけど、その場に複数人いる時のコミュニケーションで成功した覚えがない。

そういうの、よっぽど仲良い人同士とじゃないと楽しめないし、酷い時には、叫んで走り出したくなるような強迫観念に駆られたりする。参加者全員の頬を強く叩いて、「やめてください!!!!私をバカにしないで!!!!」と激昂したくなるような存在しない被害意識が芽生えたりする。

 

ちょっと前に読んだ、人見知り向けの自己啓発本に「飲み会はリズムゲームのような側面がある」と書いてあった。

飲み会にはそのグループの内で無意識的に刻まれているリズムがあって、そのリズムでどのくらいダンスできるかが大切である。みたいなことが書いてあった。そのリズムもグループメンバーの性質のなかで形成されるから、テンションが高い人たちで集まればリズムは早くなるし、じっくり話したい人たちで集まれば遅くなる。

リズムゲームはテンポを意識せず、音楽にのって演奏するようにこなすのがコツのように、飲み会も無意識に感覚で馴染む必要があって、逆にリズムを意識した時点でその人は一歩目からつまづいている。みたいなことも書いてあった。(表現があってるかわかんないけど、こんな内容だった。)

飲み会を苦手な人がいるのは、こういったリズムを意識せず鈍感になれる人と、繊細になってしまう人で二分されているからだろうと。

 

それを考えるとリモート飲み会は自分に向いてるように思う。

実感だけど、リモート飲み会はリズムがゆっくりなことが多い。あと、基本的に、リズムは統一されてるし、大袈裟に加速する心配もない。まあグループによるだろうけど、リモートは誰かが話し終わるのを待ってからリアクションするという流れが必然的になるから、そこまで場に馴染むセンスというか、即興性が求められない。

おれ一対一ならまだ初対面でも結構話せるんだけど、やはりその要因はリズムが一定であることにあるのだろうか。

 

・ここ最近、Twitterや友人との会話を通して、理解が増え共感が減ったなと実感する。「わかるな〜でも同意はできんな〜」みたいなことが増えた。なんだろう自我かな。いつまでも青年期でいられないけど、叶うことならいつまでもふわふわとしたわけのわからない物体でいたい。(と思う時もある)

 

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・飲むタイプのヨーグルトだと思って買ったら本当にただの牛乳だった。