社会的リハビリ 


・滑り止めの大学の一般入試を受けてきた、手応えはあった、逆に問題が簡単すぎてどんな人が落ちるんだろうと疑問に思ってしまうほどだった。

・ 札幌に訪れたのは2ヶ月ぶりぐらい、駿台の模試を受けに行って以来だ。そもそもこの一年自分の外出先なんて、ずっと家から20分圏内の軽い飲食店や図書館ぐらいだった、だからか、いろいろなものが無数に入り混じった都市という所にはいろいろなことが新鮮に感じた。

同じような服装の学生や会社員、一定の速さで進んでいく自動車の列、人混み、そして等間隔の柱や電柱、どれも規則性に帯びていた。もっと活発に色んなところへ行っていた時は、そんな事気にすらしなかった。

俺はどうしても気持ちがついていけなかった、どうしてもその透明な社会のリズムのような何かに対し足が竦んだ。

周りは皆、社会という枠組みに沿って一定のリズムで行進している、その行進を乱してはいけない、俺も前の人と同じように足を上げ、腕を振りその行進に参加しなくてはいけない。立ち止まってはいけない、立ち止まったらその行進を乱し、振り落される。
その行進に振り落とされても、参加できなくても、それでも、時間は流れてる、一定のリズムで流れている。常に周りは足並み揃えて行進している。そして、誰も俺を待ってくれない、しかし、俺だってこのまま立ち止まっていられない、何度だってその行進に参加し、社会に沿って歩まなくてはいけない。