商大の図書館 


・昨日、今日と商大の図書館に行って友人と勉強をした。


商大生はみんなテスト期間だったからか、図書館はそれなりに混んでいて、ちょっとだけ緊張感が走っていた。リニューアルされたばかりだからか、新築の匂いがちょっとだけした。

思っていたより、勉強の進みが悪く、少し自分を責めてしまった。
人の多いところに行くと、やはりネガティブな思考になりやすいし、心が狭くなっていく感じが常にある。


・自分のメンタルがやられている時は、どうしてこんなに辛いのか、せめて、ちゃんと言語化して理解しようと努力している。
でも最近はよくわからない時が増えた、抱えた不安も、何か明確な理由があるというより、不安めいた渦中にいて、"何が何だかわかんないけど不安で辛い"みたいなことがある。

なんか、これに関しては、病的である自分にアイデンティファイしてしまっているのかもしれない。
"病的な自分にアイデンティファイする"というのは、
「不安を抱えていないと自分ではないという自己規定をする事で、許してもらう行為」のこと。Twitterとかでみるそういう人のネガティブな主張は、"助けて"というニュアンスに"許して"という悲鳴が込めているように感じる。
そういう理屈なら、訳もわからない不安がまとわりつくのも説明がつく、自ら不安を欲しているのだから。

いやしかしだ、なんでこんなことになるんだ?、言語化できるような明確な将来の不安でさえ常に抱えているのに、なぜ俺はまだ不安を欲しいるんだ。もうわけがわからないし、どうしたらいいのかわからない。(結局アイデンティティがないだけだったの?)(この日記はまさにそういうこと?) 、もちろん、この行為が、余計に生き辛さにブーストをかけてしまい、必要のないことで、自己嫌悪し、自己憐憫を繰り返してしまう羽目になるので、辞めなくてはいけない事もわかってはいる。わかってはいる。

ごめんなさい、上手くまとめられなかった、自分の言いたいことはこんなことじゃない気もするし、なんかどこか府に落ちていない、結局、漠然とした不安の正体は分からないままだ。何なんだ。もう気持ちの整理がつかず、考えていたことがぐちゃぐちゃになってしまった。よくわかったらもう一度書こう。あと同じような境遇の人がいたらいろいろと意見を教えてほしい。


・友人が、食堂で鶏そぼろ丼みたいなやつを奢ってくれた。


・今年は、絵を描いて、本を読んで、文章を書いて、運動をしよう。