おれ、明日どうなると思います?(2)
前回のブログの続きです。
学校に行ったり、社会に参加することで必要とされる、自意識や人格の装飾が辛くなり、逃げ続けた一週間を日記にしてます。こう書くとかっこいいですが、ただ大学に行きたくなくてサボってるだけです。閉館時間になったディズニーランドでまだ夢を見ていたいから、キャストの誘導を無視してはしゃいでる。みたいな感じです。
金曜
結局、学校はサボった。昨日のブログを更新してすぐ、読んでくれた友達から連絡が来て海を見に行くことになった。もはやサボることへの罪悪感とかはなく、言ってしまえばこういったセンセーショナルな展開に興奮していた。
午前中は、札幌文学館の太宰治の展示にいき、その後は中島公園に一人で多量のお酒を飲んだ。泥酔し、マリオでいうスターを得た状態のように無敵になった。イヤホンから爆音で泥酔した身体に音楽を走らせ、その勢いのまま、鯉がいる池にちぎった食パンを狂ったように投げ続けた。時間の経過を忘れるくらい投げ続けていたので、なんかもう笑っちゃうくらいの数の鯉が集まってきていた。
昼下がり、海に行く約束をした友達と合流し、2人で音楽を聴きながら、奢ってくれたお酒を飲んだ。海きれいだね。ぐらいしか話さなかったけど、別にそれでよかった。そのあとすぐ、もう1人の友達も合流して、自分たちが自主制作してる雑誌の写真をいくつか撮った。海も波も空も夕景も、何一つ欠けたところがなく完璧で作り物のように美しかった。
水曜の夜に友達の家で寝て以来一睡もしてなかったから、家に帰れば眠くなると思ったけど、飲みきれなかったお酒を部屋で飲み直したら、だんだんハイになってきて、部屋に1人、最近ハマってる崎山蒼志を聴きながら、爆踊り(連続するヘドバン)をかました。かましたが、さすがにもう一曲で具合悪くなり、簡単なゲロを吐いた。その後、風呂に入り、歯を磨き、21時半時ぐらいに沈むように寝た。
それでもまだこの日の現実逃避は終わらなかった。もうこうなったら現実逃避でもなんでもなく、ただ現実を暴れてるだけなんだけど、23時に起きて晴大と散歩に出た。雑にコンビニで買い食いしながら無作為に歩き回り、26時ぐらいに解散した。抽象的な悩みを聞いてもらった。そうしてその日は「たくさん寝て明日はもう緩やかに過ごそう」そう思いながらゆっくりと目を閉じ、めちゃくちゃに悪夢をみた。
おれ、明日どうなると思います?
日記を残す。今週だけの。
それも、今週は友達にいろんなことに誘ってもらうことが多くてとても愉快な週だった。楽しくて、でもそのあとに訪れる空虚が怖くて、それを感じさせないよう生活の流れや軸のようなものをめちゃくちゃにした(している)。
月曜
学校いった。学校ではグループワークで取り残された以外の記憶がない。
夜、急に誘われて友達とドライブにいった。大きな公園を目指したけど街灯がなさすぎてやめて、海をみようとしたけど、風強くてやめた。結果どこかの駐車場に車を止めてみんなで話したり、踊ったりした。楽しかった。あの時のことあんまり覚えてないけど、覚えてないほどに居心地がよかった。
撮ってくれた。
関係ないけど、うみべの女の子、この歳でももっかいみていい?
火曜
学校をサボった。
ドライブした帰りに家に帰ってお風呂に入ったらもう朝になってて、ほとんど寝ずに家を出た。電車で寝れるかなと思っていたけど、眠気はなく、倦怠感と虚脱感だけがあった。どうしても学校行く気になれなくて、途中下車して駅のマックに逃げ込んだ。
マックに入った途端、不思議とすぐに眠くなって机に顔を伏せ爆睡した。起きたら手がホットケーキを貫通していて、紅茶がこぼれマスクが濡れていた。
そのまま帰って、また寝た。
水曜
学校いった。
帰りに仕事が休みの友達と2人で居酒屋に行った。彼は先日に恋人を失っていたみたいで、その日はたくさんお酒を飲んだ。愛と文化とその依存の話をした。あと、彼女もセックスもいらないからキスをしてみたい。プラトニックな。って言った。
そのまま友達の家で寝た。
木曜
学校をサボってしまった。
朝起きて、家主が仕事に行くのを見送ったあと、もう一度寝て、コンビニで飯を買い、人の家で食べ、シャワーを借り、家を出た。
その日の帰りは、学校帰りの晴大に時間を合わせて一緒に帰ることにした。途中、駅の喫茶店に入り、食事した。おれはフルーツヨーグルトを注文し、晴大は、ボロネーゼとチキンカレーとパンと、サラダ、あとデザートにクソでかいワッフルを注文していた。
おれは、晴大が猛獣のように食事することのファンで、彼と食事するのが好きだ。机はほとんど彼の注文した皿で埋め尽くされていて、店員を困惑させていた。絶対に裏で噂されてたと思う。
あと、食べるスピードが早く、味わってるのかいつも疑問だった。いつも繰り返し言うのが、飲み込むのが気持ちいいんだよ。っていう謎のセリフ。まあなんかわからんでもないけど。彼の食事は食事というより、快楽物質の摂取という感じ。
帰りは、のんびり歩いた。
金曜(今)
これを書いている。時間は夜中の2時40分。明日は1限から。とにかく学校に行きたくない。今週ずっと何かに酔ってめちゃくちゃでいられたのに、現実に戻りたくない。自意識を、人格を、取り戻したくない。本当に愚かだ。よくいるどうしようもないカスの大学生だ。たぶんだけど、サボる気がする。たぶん電車には乗ると思う。朝起きることは得意だから、でも、途中下車する予感。それか、駅まで行くのに、発射時刻が迫っても、急ぐことが出来なくて、それを逃し、どうでも良くなるパターンか。たしか中島公園の近くの文学館で太宰治の特別展あるらしい。いってしまいたい。
おれ明日どうなると思います?
抽象vs具象
・机の上には二口だけ飲んでそのままにされたペットボトルが数本無造作に並べられていて、その横にまだビニールに入ったままの本が新品で積まれている。床には、タオルと何かの書類、脱ぎ散らかした靴下やスウェットが散乱していて、その先の空いた窓からは夜の空気が流れて込んできている。それはどこか部屋の空気が悪い気がして窓を開けてるのだが、この時期の夜はまだ冷えるので、それを掻き消すみたいに、ストーブをつけて部屋に温度を足している。
ここずっと、自制心のようなものがない。神経を抜かれた魚のような感じ。自分を表面を象っていくような自意識、生活の、あるいは生存への手応えみたいなものも全くない。
べつに、いつもそういう実感をもとに生きてきたわけではないけど、ここまで自分を他者のように感じ、自分が自分自身への観客であるような、そんな気分が持続しているのはすこし久しぶりだ。
いつもなら、本もできるだけ中古で買うし、洗ってないタオルや服が散らかっていたらそれなりの強迫観念をもつのだけど、まったく全てが他人事のようである。
でも、案外(案外というか、当たり前だけど)そういう感覚はどこかお酒を飲んだように心地が良くて、水に溶けたような感覚がそこにある。
3月に入ってからは特にその感覚は続いていて、金が入らないのに、金を使い続けているから、止まることなく減り続ける貯金額を見て、いつも心の中で笑っている。
べつに、自分を冷遇する感覚に気持ちよくなってるわけでも、自虐的なることに酔ってるわけでもないけど、単に、素直な感情のまま、躊躇のない生活をしているだけである。
でもなぜか、そういった態度は、外の世界への依存や、生存への執着がなく、一心に破滅に向かっていく感じがあって、どこか健全な気もするのだ。ナチュラルな欲求のために、結果自分を削って浪費していく感覚は、一つ一つ装飾を取り外していくような、謙虚さと素直さがある。
でもなら、こんなことブログにするなよってね。勝手に破滅しろよ。たしかにね。ほんとそうだよ。
・大学一年は、本当に暇だった。ほとんど遠隔授業だったし、バイトとかそういう類のものしなかったから、有り余った時間をほとんど本やアニメに使ってた。
結構な数の本を読んでアニメをみて、自分にとっては幸福だったなと思っている。そしてそういった文化的な生活は、自分の最低限の幸せなのかなとも思った。
自分自身に生産性を見出して、メタ的に人生を計画していくには、それなりの狂気とともに、抽象的で祈りのような希望をみつける必要があるけど、自分にとっての祈りは、最低限の(それ)かなと思った。(それ)とは、さっき書いたような文化的な生活。
そういった、自分への祈りがわかれば、もうそれを維持するだけで、ある程度人間の空虚な部分というか、最初から設計された空白な部分が埋められるから、自分自身の最低限の幸せを自覚するのは大切なんじゃないかなと思ってる。所詮祈りでしかないんだけど。
なんか、おれの祈り、まったく人間らしくないなと思うけど、(人間らしい祈りとは、愛とか、地位とか?) 人間らしくいれるのは、その人自体が強くないと厳しいし、自分の最低限なんてそんなとこよね。それでいいのよ。自分よ。
■
・ポスティングのバイトしてるときに出会った猫。餌をあげたくて、走ってコンビニまで猫缶を買いにいって戻った頃にはもう居なくなってた。出来高制のバイトしてる時はこういうことしない方がいい。その日にチラシで稼いだ金が全て猫缶になってて意味がわからなかった。というか、高層マンションとか団地とかがあるような郊外とかでもないのに、なんでポスティングのバイトしてんだろ。今月配ったらチラシを給料に換算したら1870円だった。1870て。なにこれ?電車賃?
・いらな。
・チラシ配って猫缶貰うバイトした帰りに、そのまま高校の同級生に会ってきた。その同級生とは高校を出た後も定期的にあってはお互いの近況を話している。
彼とは、高校の時から同じような映画や服の情報を共有してきたからか、感性という側面でとてもよく似ている。あの映画みた?この絵よくない?とかだけでずっと話せるのは、とても貴重だと思う。
将来のことを話してくれた。自分には目眩をしてしまうくらい大きな未来を、彼はみていた。応援している。それが伝わっていただろうか。
(自分はもうずっと将来のことなんか考えていない。いつまでも曖昧なままでいられないはずなのに)
小笠原鳥類の詩集を貰った。丁寧に読んでも、酔った勢いで読んでも意味はわからなかった。長谷川白紙の歌詞みたいだなとだけ思った。
■
夢も希望もなく、わけがわからないまま食事をし、教授に言われるがままレポートを提出し、朝になったら寝るようにしている。それでも日々は続いていく。
生きてる実感みたいなものはない。でもそれでいい気もする。意味を求めて生きること自体に意味がないようにも感じるから。でも、実際のところはわからない。そう思いたいだけなのかもしれない。
自分は美徳として、何事にも執着しないことを掲げているのだけど、それはただその方が安全で、そして生きやすいからであって、精神的な美しさやいつくしさなどを求めたことではない。つまり執着しないことに執着しているだけだ。
でも、これを美徳と思っていたほうが、そういう自分を演じやすいし、信じやすい。こういうのを自己欺瞞というのだろうけど、人はなにかを演じていないと保っていられないんだから、このくらいは許してよと思う。慢性的に気力がないのは本当だから。
みんな何をして生きてる実感を得ているの?
仕事?恋愛?あと旅行とか?
うーん、でも生き甲斐の定番は恋愛だよね。これは昔から揺るがないもの。恋愛かー。自分にはかなり遠いものに聞こえる。恋愛小説とか読んでても神話かと思う。緩い犯罪みたいに思う。とってもいいなと思う。
というか、おれに好意をもってくれる人いるのかな。俺、無能だし、不潔だし常にぎこちないし。
でも本当に恋愛はしてみたいけど、始めるとしても革命みたいにハイになって自分を焚き付けないといけない。革命を起こすにしてはこっちの装備が薄すぎるのだけど。
いつくしい朝へ
2月31日
小学校から付き合いのある友達に誘われて朝日をみた。北海道の真冬であるというのに、雪も風もなく、ありえないくらい空気が澄んでいた。
04:10
いつもなら眠くなってくる頃だけど、身体は完全に覚めきっていた。それもすこし、いやかなりだが緊張していた。中学卒業後も、時々集まっては遊んでいた仲なのにその時はどうしてか緊張していたのだ。
おそらく、ちょうどその時に読んでいた本のせいだ。最近、没入すると自意識が肥大していくようなどうしようもない小説を読んでいた。自己破壊系のそういうやつ。破裂しそうな精神状態を、お守りみたいな市販の鎮静薬で濁しながら、車の迎えを待った。
友達が借りてきてくれたレンタカーは、海岸沿いを、西へ西へと走っていた。音のないトンネルをいくつか抜けると、古い水族館と崖と日本海がすべてみたいな小さな街に出た。自分の住んでいる地域からこの方角へは、自力で来られる最果ての場所。
車中でどんな話をしただろう。あんまり覚えていないけど、もうすでに緊張してなかった気がする。自分のぎこちなさを笑ってくれる人たちだったのを思い出していた。いつからか自分は、自分のことを理解してくれる人じゃないとあんまり遊べなくなっている。自分のそれはコミュ障じゃなく自己中だなと思う。
展望台を登って、広がる海を見下ろした。風がなかったから、あまり水面は揺らいでおらず、ただ黒く照らされたそれはすこし怪奇的だったけど、ここまで来れたのが嬉しくて、そんなことすぐにどうでも良くなった。
日が昇るまで、席を倒して懐かしい話をずっとしていた。中学時代の先生。忘れかけてたクラスメイト。文化祭。そういう話。そんなことを話していたら、なんかこのまま日が昇らないのもそれはそれでありだなと思った。
06:19
ぼんやりと浮かぶオレンジ色の光の溜まりに、少し色の薄い光の線が平行に伸びた。
砂利 枯れ木 日本海 吸い込む息 ゆらゆらと揺れる水面 凪 岩 崖 白い息 冷たい空 廃れた鉄 グミ ホテル 毛布 ドア ガソリン 尿意 酸素 潮 水色と灰色 声 肌 指先 薄明 雪 水面に上昇する霧 酔える球面 木漏れ 反射光 張り付く雪 足先の湿り気 いつくしい朝 曙光へ 朝焼けへ
素直な気持ちで、だれか撃ち殺してくれと思った。この澄んだ官能のまま死んだらそれでいい気がした。これは半分ウソで半分は本当。そういう刹那的な情緒と矛盾。
忘れないようにしたい日だった。