相対的に孤独を選ぶ

今日何したっけな。本当に何もしない日だったな。とはいってもやらなくてはいけない事はたくさんあったはずだ。課題も溜まってるし、病院も銀行も、役所にも用事があった。でも、今日したことと言えば、朝起きて、ヨーグルト作りして、おひるねして、エヴァを観て、目を充血させるまでインターネットして、今や。それでやっと「ちょっとは頑張りまっか!」とパソコン開いて課題を始めようとしたが、なぜか、出来たヨーグルト食べながら、このブログを書いてる。カスすぎ。何をしてねん。ヨーグルトは美味。

 

俺、毎週開かれてるゼミ回にまだ一度も参加したことないのヤバくない?

自由参加のやつだから、誰がどのくらい参加してるかはわかんないんだけど、ちゃんと人見知りが発動して参加できないでいる。

自分は人見知りがというか、友達作りを、なぜこんなに怖がっているのかを考えたら、やはり、自分は、1人の時に感じる孤独より、多人数の中で感じる孤独の方を相対的に恐れているからだろう。

多人数の中で感じる孤独というのは、多人数の関係性(グループ)を築いた時、その中で自分の同一性を確保できなくて感じる疎外感のこと。これ自体はわりと誰でもあると思う。例えば、「今、自分だけこのノリに対応できてないな」とか「これは、自分に周りを合わせってもらっているのではないか」とか、自分のそのグループから浮いてる感覚を読み取った時に感じる疎外感。また、そういう勘繰りが生み出した自意識によって自分を苦しめる行為のこと。

これは、自分の繊細さによって自己決定が支配されてる人なら頷けるあるあるだと思う。

だから、この多人数で感じる孤独を選ぶぐらいなら、いつからか慣れてしまっている1人の孤独を選んでしまうのだ。

俺、これみたいに思考を裏返して、ネガティブな結論に前向きになるの、よくしてしまうのね。やはりその方が楽だからさ。どうするかね。俺は諦めるのだけが上手くなっていくな。いや、正しくは諦めでもないか、ただの放棄か。