「エモい」について

・友達と散歩をしてきた。1人でも散歩はするけど楽しさでいったらやっぱり友達とした方が断然楽しい。友達と散歩をするのは最高だな〜

 

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・花火もした。

そこら辺のスーパーで買った小さいライターの火を頼りに花火をしたから、すぐ風に負けて全然つかないし、花火によって生まれるゴミの量を完全に舐めていたし、ほとんどフラッシュを焚いて写真を撮ってしまったから全然映えてないしで、いろいろミスしたけど、ちゃんと楽しかったな。こういう夜があるとまだ頑張って生きてもいいなと思える。大袈裟だけど。

 

・いつも誰かと散歩するとき、自分の胸のうちを淀みなく語ってしまい、自分の恥部を晒しまくってしまう。でも、これは深夜に散歩しているからというのもある気がする。朝に書く手紙と夜に書く手紙の毛色が大きく変わってくるように、夜の散歩は自分を簡単に解放させる何かがある。深夜テンションって言葉があるけど、夜の散歩はなぜか相手を一方的に信頼して話してしまう、どこかそういった作用がある。こういうのってどう化学で説明つくのかな。

ちなみにこのブログも深夜に書いてるからつまりはそういうこと。

 

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・つい「エモい」という言葉を使ってしまっていたけど、エモいってどんな意味なんだっけ。もう言葉としての本来の価値がなくなってきていて、形容し難い感情の表現として使われるようになっている。でも、それじゃほとんど「ヤバイ」と同義語だよな。

もっと自己解釈を含めて狭義に考えると、本来、切なさとか、ノスタルジーとかそういった感傷的なものが含まっていたような気がする。

たとえば、帰り道に夕立が光を持って反射していたり、暗い夜道に電車の光だけが道を照らしていたりとか、そういった瞬間的な光景は、どこかその瞬間的であることの儚さを帯びていて、胸の奥が苦しくなるような感傷的な情緒を引き摺り出す。その感傷的な情緒こそが本来の「エモい」だったように思う。

 

・あと、エモいという感情を大事にするという行為はどこか現実主義的な人に貶されがちだけど、別にこれでいいんだと思う。エモいを大事にできるのは、その人の感性の賜物であるし、その貶しも、自分にはない感性をもっているという嫉妬を含んだものであるしね。

 

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とはいっても、その現実主義的な人がエモいを貶すのは、元来、その人の人格ごと気に入らないからなんだろうな。

「エモいじゃねえよ、その意味のない幻想的な空間ばかりを入り浸って、目の前の現実的な課題に取り組まない。だからお前はダメなんだ!!」みたいな

 

いやー、なるほどなるほどね。

 

「無理を言うな!!!!!!」